2023.07.20
コラム

公害対策基本法から環境基本法へ『日本の環境政策の歩み』

公害対策基本法は、高度経済成長に伴い発生した4大公害を受けて制定され、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭により、人体や生活環境に関し悪影響を生ずることと定義されています。この7つの公害は典型7公害といいます。今でも私たちの身近にある公害で、現在でもたびたび問題になっています。この定義は1967年に出来た公害対策基本法によるもので、1992年に同法を抜本的に見直して作られた環境基本法に引き継がれました。今回は環境基本法に至るまでの経緯を見てみようと思います。

目次
1.最初の公害
2.環境基本法に至るまで
2-1.公害対策基本法の制定
2-2.公害対策基本法とその後
2-3.環境問題のグローバル化
3.環境基本法の制定

最初の公害

我が国における大気汚染の歴史は欧米の近代化を目標に殖産興業政策が推進された明治時代(1868年から1912年)の初期にまで遡ります。当初、近代産業を牽引する中心的な役割を果たした紡績業や銅精錬業、製鉄業の規模が次第に拡大する明治年間から大正年間(1912年から1926年)にかけては、これらの地域で著しい大気汚染が発生しています。日本最初の公害事件である足尾銅山は採算が取れないと判断され民営化されます。何度か経営主が変わるも1877年から足尾銅山は古河鉱業株式会社によって経営され、開発がすすめられました。古河鉱業株式会社のもとで近代化されたのち、1884年に近隣の樹木が枯死した他、1878年と1885年に渡良瀬川で鮎の大量死が発生すると、それが新聞に掲載され、記事ではこれらの原因を足尾銅山の鉱毒、丹盤質(硫酸銅)と疑っていました。この頃、渡良瀬川から取水する農地で不作が続いており、農民たちはこれを足尾銅山の鉱毒が原因と考察します。1980年8月の暴風雨で渡良瀬川が洪水を起こすと、問題は顕在化。翌12月、帝国議会(当時の国会)にて田中正造が質問書を提出したことによって問題が知られることになります。2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っている。これが足尾銅山鉱毒事件です。

国内における公害規制の変遷

公害対策基本法の制定

明治期には足尾銅山鉱毒事件以外にも著しい粉じん、有毒ガスによる健康被害があったものの、大々的な規制が行われることはありませんでした。公害規制が大きく前進したのは戦後の高度経済成長期になってからです。戦後日本は急速な経済的発展が進み、1956年の政府が宣言した経済白書には、もはや[戦後]ではないと書かれ、終戦から10年目にしてGDP(国内総生産)が戦前の水準を上回ったのです。この後、20年弱続いた高度経済発展の中で、成長時代には重化学工業化が著しかったため、その過程でいわゆる産業公害が拡大し、四大公害と呼ばれる水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく等、人の生命健康に被害を生じた例さえ見られます。この他にも各種公害が発生しており、1958年に水質保全法、1962年にばい煙の排出の規制等に関する法律が制定されるも、十分な対策とは言えませんでした。国民への健康被害が拡大する中、国民の健康で文化的な生活を確保ため、公害対策基本法は制定されます。1967年に成立したこの法律には、政府や事業者の公害防止に対する責務と、公害の防止に関する基本的施策を定めていました。

公害対策基本法とその後

公害対策基本法の制定後も公害は拡大し続けます。当時の公害対策基本法第1節第1条第2項には「生活環境の保全については、経済の健全な発展との調和が図られるようにするものとする。」といわゆる調和条項が定められた。これは経済発展を環境保全に優先するというものであるが、公害を抑え込めなかったのです。
1970年当時の佐藤内閣は総理大臣を本部長とし、公害対策本部が設けられ、政府としての公害への姿勢を示します。公害国会が召集され、公害関係法令の抜本的整備を目的とし、大気汚染防止法や水質汚濁防止法を含む公害関係法律14法が成立しました。この公害関係法律14法によって本邦の公害防止の基礎となり、環境規制はこの頃に概ね完成したと言われています。この後、公害健康被害補償法が成立すると公害の補償や給付も行われるようになりました。

環境問題のグローバル化

公害は我が国だけの問題ではありませんでした。1952年にイギリス・ロンドンで発生し、1万人以上が死亡したロンドンスモッグ、日本の公害と同時期に起きたものだと1970年以降の欧州における酸性雨などが有名です。なかでもスウェーデンにおける酸性雨は広く知られています。

酸性雨の被害は森林の枯死や淡水域での漁獲量減少が挙げられます。酸性雨の原因は大気汚染であり、化石燃料の消費量が増大するにつれて排出される窒素酸化物と硫黄酸化物が雨に混ざることで酸性の雨を降らせるのです。スウェーデンにおける酸性雨が注目されたのは、その原因が国外にも起因すると欧州で最初に突き止めたとされています。イギリスやドイツで排出された大気汚染物質が遠い地であるスウェーデンで酸性雨を降らせていると述べた論文が発表されました。スカンジナビア半島に限らず、東欧にも被害が出ており、公害が国境を超えることが明らかになりました。

1972年、スウェーデンの呼びかけで国際人間環境会議が開催されます。これは世界で初めて多国間で行われた環境に関する会議でした。以降、様々な環境問題について世界規模で話し合われる機会が増えていきます。ストックホルム会議以降も環境に関する国連主催の会議開催は行われ、多くの条約や宣言が採択されてきました。環境基本法制定前の著名なものだとラムサール条約(湿地保全条約)、ワシントン条約(絶滅危惧種)、ウィーン条約(オゾン層保護)、環境と開発に関する国際連合会議(持続可能な開発について言及)があります。ラムサール条約やワシントン条約は今でも身近なものであり、オゾン層破壊は一時期大きな話題になりました。持続可能な開発はSDGsとして広く知られています。

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環境基本法の整備

前述したように、公害・環境問題は複雑に、世界規模になっていきました。オゾン層破壊や生態系破壊など、従来の公害対策基本法には示されない事例が多くなり、それらへの対応が迫られます。

こうした背景から環境基本法は1993年に制定されました。環境基本法は公害対策基本法の目的と大差なく、環境保全や公害対策の基本的指針が示されています。環境基本法には国際協調や持続可能な社会についての記載があり、この点が公害対策基本法との主な違いとなっています。環境基本法は現在でも本邦における環境規制の根幹であり、指針を示すものです。しかしその目的は国民の生活や人類の福祉の為であることを忘れてはなりません。人は環境の創造物であると同時に、環境の形成者でもあります。人類は人類の為に環境改善を進めるのです。

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参考資料
【総務省】明治の公害と公害紛争処理制度について 
【内閣省】昭和31年度 年次経済報告書
【環境省】図で見る環境白書 1979
【立命館大学大学院】公害国会の見取り図
【jstage】公害対策基本法と今後の産業公害対策
【環境省】五十年史
【環境省】大気汚染の歴史
【NCBI】Acid rain and air pollution: 50 years of progress in environmental science and policy
【環境省】国際人間環境会議(ストックホルム会議)
【衆議院】公害対策基本法
【SOMPOホールディングス】環境公開講座 1999.10.05 環境基本法解説
環境基本法

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